Juice=Juice「Borderline」は境界線を否定する

Juice=Juice「Borderline」は境界線を否定する

待ちに待った音源化

 

いや~、長かった…。

 

Juice=juiceのライブ史上最高傑作との呼び声も高い「Juice=Juice LIVE 2018 at NIPPON BUDOKAN TRIANGROOOVE」での初披露から約1年半、ついに「Borderline」が音源化された。

 

初披露のはずなのに余裕すら感じられる全方位に完成度の高いパフォーマンス、1曲目にして武道館という大舞台を掌握するオーラ、全体としての統一感を保ちながらもソロパートは個人としての魅力を存分に発揮する各メンバーの圧倒的個性と実力。

 

2018年時点のJuice=Juiceの最高到達点と言って差し支えのない“無敵感”に、我々はただ圧倒されるばかりだった。

 

そんな魅力満載の楽曲が、ついに音源化されたのだ。

 

初披露からメンバーの卒業・加入があったため、音源となったものは初披露時の歌声とは異なっている。正直、ちょっと無念な気持ちもあるものの、変わっていくのがハロープロジェクトだ。それも“This is 運命”ということで楽しもうではないか。

 

映像化されているものも多くあるので、音源化前からもうハロヲタには馴染みの楽曲となっているが、この機会に改めて本楽曲の魅力を考えていければと思う。

 

“繰り返す言葉”の強さ

画像出典:お尻プリプリ “困っちゃうダンス”が見どころ!7人体制ラストのJuice=Juice

 

歌う楽曲の世界観からか、メンバーのスタイリッシュで色気のあるパフォーマンスからか、いつしかJuice=Juiceには“都会的”なイメージが付いてきた。

 

“都会的”とはいってもクラブで弾けるパリピ的なイメージではなく、“東京という街に飲まれる孤独感”とも言うべき現代的な都会像が良く似合うグループに成長していったように思う。『SEXY SEXY』『Vivid Midnight』『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』など、特に2018年以降のシングル曲では顕著である。

 

そんな2018年の口火を切った本楽曲が、“都会に憧れる田舎者の歌”というのがなんとも面白い。

 

違った道のり 違った服 違った街 違った風
憧れの場所で 肌で感じた情熱に
「これだ!」って確信した

 

<憧れの場所>という表現だけなので、どの場所が都会なのかどうかは厳密には分からない。しかし<違った服>という歌詞から、都会的なイメージを感じることに異論はないのではないだろうか。

 

それにしても冒頭から秀逸な表現だ。主人公のワクワクがたったこれだけの歌詞から強く伝わってくる

 

「あれがすごい!」「これがすごい!」と憧れの場所の魅力を綴っている訳ではない。今、自分が生きる場所との“違い”を連ねることで、魅力を綴る以上に主人公が目を輝かせている様子がありありと浮かんでくる。

 

<違った風><肌で感じた情熱>の部分とリンクし、まさに身体全体で憧れの街を受け止めているような、主人公の心の中にも新しい風が吹き抜けたような、そんな清々しさも感じる。

 

ずっと怖がっていたんだ
怖がっていたんだ
夢のその入口へ 立つことを
今夜帰ったら 自分の夢を
親に打ち明けよう

 

憧れの場所に衝撃を受けた主人公は、いよいよ親に夢を打ち明ける。

 

そんなBメロで注目したいのは、<ずっと怖がっていたんだ 怖がっていたんだ>の部分。他の言葉でも全く問題ないのに、<怖がっていたんだ>同じ歌詞を2度繰り返している

 

例えば、<ずっと怖がっていたんだ 迷っていたんだでも譜割り的には問題なくハマるし、感情のバリエーションが伝わって聴き手を飽きさせないだろう。

 

しかし、天才・星部ショウは<怖がっていたんだ>を繰り返すことを選んだ。では、なぜか。

 

1つには、繰り返すことで主人公の夢に踏み出すことへの「恐怖」を強く強調して描くことができる、という理由があるだろう。

 

これに加えて、私はこの繰り返しから「時間」を感じた

 

噛みしめるように歌われる2度目の<怖がっていたんだ>からは、誰にも言えない夢への憧れをずっとずっと長い間持ち続けていたという深みを感じるのだ。昨日今日突然出会った夢ではなく、何年も憧れ続けてきたような主人公の強い想いを感じてしまうのだ。

 

このイメージを持ちながら冒頭のパートを聴いていると、初めて訪れた<憧れの場所>に対する主人公の感動がまざまざと浮かび上がってくる。だからこそ、その感動をパワーにして「夢を伝える」という一大決心ができたのだ。

 

キーワードは“対比”

ここが人生のBorderline
ドキドキのBorderline
私 変われるはずでしょう?
今日ここで小さく 舵を切れたら
大きい未来が動くはず

 

Borderline、つまり境界線。何かと何かを隔てるものだ。

 

そんなタイトルに合わせるように、2つのものを対比したような表現が本楽曲には多く用いられている。

 

例えば先程のAメロでも、自分の「今いる場所」と「憧れの場所」とを対比するフレーズが並べられていた。サビでは<今日ここで小さく 舵を切れたら 大きい未来が動くはず>と、「大小」での対比が用いられている。

 

いやはや、オシャレな言い回しだこと。

 

実際の船も大きな船体を小さな舵で動かしているので、小さな行動が大きな未来を変えるという表現にぴったりな比喩だ。また通常「未来」は「見える」ものだが、しっかりと船の比喩を継承して「動く」という表現にしている。あっぱれだ。

 

また振り付けでも<Borderline>に合わせて線を引くような動きを取り入れるだけでなく、メンバーが左右に別れて、それぞれの組が別々の動きをすることで、視覚としての対比もつけているのだ。

 

伝えたいメッセージ

この世界はWonderland
トキメキのWonderland
じれったい 自分を脱ぎ捨て
「出来っこないさ」の その先にいる
見たことない私のこと 探しに行こう

 

サビの後半部分では、本楽曲で伝えたいことが歌われているように思う。

 

<Wonderland>は、「おとぎの国、不思議の国」などと訳される。つまり現実世界と対比される存在であり、境界線を隔てた先の存在だ。しかし<この世界はWonderland>と、「現実世界」と「おとぎの国」が同一視されて歌われている。

 

つまり、境界線なんてないということだ。

 

これまで様々な対比を用いて、境界線を表現してきた。それは、本当はそんなもの存在しないということを印象づけるためだったのかもしれない。今いる場所と憧れの場所の間に隔たりはなく、あくまでも地続きであるのだと教えるためだったのかもしれない。

 

だって本サビは、<「出来っこないさ」の その先にいる 見たことない私のこと 探しに行こう>というフレーズで締めくくられている。

 

未来の私、つまり憧れの場所で夢を掴んだ私は、あくまでも“私”であると歌っているのだ。まだ<見たことない私>であるだけなのだ。境界線を越えたからといって、全く新しい誰かに生まれ変わる訳ではない。“私”であることは変わらない。ただ、ちょっとだけ成長した“私”になっただけだ。

 

やっぱり、境界線なんてあるようでないのだ。

 

同様の構図

この“対比”と“境界線の否定”の構図は、2番でも同様だ。

 

いつもの道のり いつもの場所 いつもの席
いつもの顔
私を今まで 育ててくれた大切な
家族や仲間たち

 

ここでは1番との対比が見られる。

 

1番では「違い」を連ねることで、<憧れの場所>を訪れた喜びを表現した。2番では「いつもの」を連ねることで、安心感や温かさを表現している。

 

一方で、1番を聴いているからこそ、主人公の気持ちを知っているからこそ、夢へ向かうためにはこの「いつもの」が崩れてしまうことを聴き手は知っている。そのため、温かなはずのこのフレーズに“寂しさ”を感じてしまう

 

サビでも1番と同様に、「大小の比較」および「境界線の否定」がされている。

小さな気持ちが 折り重なって
大きい未来が動き出す

「きっと出来るさ」の その先で待つ
夢叶えた私のこと 迎えに行こう

 

小さなことを積み重ねて大きな未来を動かし、夢を叶えるのは、あくまでも“私”なのだ。

 

終わりに

最後に、主人公は一歩踏み出す。

今の心の声を 言葉に変えて
ゆっくり でもまっすぐに 伝えよう
まだまだ小さな それでも大きな
一歩を踏み出した

 

長い間自分の心の中に閉じ込めていた想いや願いを、ついに外へ解き放つ。

 

主人公はどんな言葉で語ったのだろうか。

 

どんな表情で伝えたのだろうか。

 

主人公の心の機微を、<「これだ!」って確信した>時のあの感情から知っている私達なら、なんとなく想像できる気がする。

 

 

だって夢へ向かう人のまばゆい表情を、その瞳の輝きを、私達はよーく知っているじゃないか。

 

画像出典:Juice=Juice、新体制の絆を見せた2度目の武道館「いい7人になりました」

 

 

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