“節目”となる歌
10年。
アイドルグループとしては、あまりにも長い年月を生き延びてきた私立恵比寿中学。
その歴史を彩ってきた数々の楽曲の中には、特別な意味合いを持つ“節目”となるような楽曲が存在する。
例えば、メジャーデビューシングルである『仮契約のシンデレラ』。初期エビ中の特徴である「バカバカしさ」「コミカルさ」をしっかりと継承しながらも、メジャーに相応しい伸びやかで明るくキャッチーなメロディが加わったまさに無敵のアンセムだ。
また中山莉子・小林歌穂の加入を経て、最強の8人(ゴールデンエイト)が揃い、初めてミュージックステーションへの出演を果たした際に披露された楽曲『金八DANCE MUSIC』も重要な節目となる楽曲である。
本楽曲を聴く際には、メンバーみんなで肩を組んでMステ初出演に対する喜びの涙を流すあのシーンや、廣田あいか卒業コンサートでの過剰な銀テープが舞い散るあのシーンなど、私立恵比寿中学の歴史の中でも印象的な場面が呼び起こされるだろう。
彼女たちを語る上で、外すことのできない楽曲だ。
画像出典:私立恵比寿中学「金八」インタビュー – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
ここまでは、少し昔のエビ中の節目楽曲について触れてきた。
中高生だった彼女たちも大人の女性へと成長し、当然歌う楽曲のテーマにも変化が生まれてくる。おふざけ割合の多かった昔と比べて、段々と年齢に見合った等身大の気持ちを歌った楽曲も増えてきた。
そんな2020年現在、“今”のエビ中にとって節目となったのはどんな楽曲だろうか。
私は、その一つに『響』があると思う。
キーパーソン・廣田あいかが卒業した翌日、6人となったエビ中が万感の想いを込めて初披露した楽曲である。
圧倒的な個性を発揮し、単独でのバラエティ出演などを通して新しいファンを引き込む「入口」の役割を果たしていた廣田あいかの卒業は、エビ中にとって大きな損失だった。
ぁぃぁぃのいないエビ中を想像することができなかったし、残ったメンバー達を揶揄する心無い言葉も届いていた。
そんな状況下で、いやそんな状況下だからこそ『今』を歌った本楽曲はファミリーの心を打った。
間違いなくエビ中の節目となる楽曲だ。
そして本記事で取り上げる『ジャンプ』もまた、エビ中の新たな節目となる楽曲である。
高揚感と焦燥感のビート
ビート、つまりリズムパートは楽曲の骨格だ。これ次第で、楽曲のイメージが決まるといっても過言ではない。
『ジャンプ』のビートは、4つ打ちによるEDM由来の跳ねたダンスビートだ。タイトル通り、曲に合わせてジャンプをしながら音に乗ることができる縦ノリのビートである。私立恵比寿中学の楽曲では意外と少ない部類だが、初聴でも分かりやすく盛り上がれるため、昨今のフェスシーンでは4つ打ちのオンパレードだ。
しかし本楽曲では、ビートとしては共通のものを持ちながらも、EDMのようなバカ騒ぎ感は微塵も感じられない。
その理由は、上モノの違いだ。
つまり、ドラムとベース(リズムパート)以外の楽器がどのように使われているのか、何のために使われているのかの違いということだ。
例えば、ド定番のEDM楽曲であるLMFAO『Party Rock Anthem』やNicki Minaj『Starships』では、多様なシンセサウンドが用いられているが、それらは「高揚感を高めるため」に使用されている。より踊らせるための手法として、音色からメロディまで考え抜かれているのだ。
ビート自体は『ジャンプ』と同様の4つ打ちダンスビートであるにも関わらず、印象が大きく違う理由の1つである。
対して『ジャンプ』では、何のために上モノのが使用されているのか。
私はあえて「高揚感を抑えるため」に使われているのだと思う。
2つの上モノが作る感情
本楽曲では、印象的な上モノが2種類ある。
1つ目は、冒頭から繰り返されるメインリフ。儚げな音色からドラムのフィルインと同時にストリングスの荘厳な音色に変わるこのリフは、本楽曲の顔となるフレーズだ。
美しさや清らかさと同時に、寂しさを感じるようなフレーズに聴こえる。それでいて一聴して耳に残るキャッチーさも兼ね備えている。“アゲアゲ”とは正反対な感情を抱かせる本フレーズは、前述したEDM楽曲とは全く異なる上モノの使い方になっているのが分かるだろう。
2つ目は、常時鳴らされているバッキングギターだ。上モノとは言ってもグルーヴを作り出しているので、厳密には上モノと呼ぶのか分からないが、ドラムとベース以外の楽器ではあるのでここでは上モノとして扱う。まぁ細かいこと気にすんなよ。
一定に、淡々と、物哀しく鳴らされる本ギター。自問自答、葛藤を繰り返すような歌詞の世界観ともリンクして、より一層寂しく聴こえてくる。Avicii『Wake Me Up』のオマージュだろうか。同様の4つ打ちの中で、似たリズムパターンのギターを聴くことができる。
本楽曲でのギターは、寂しさや哀愁、焦燥感のようなものを与えるための装置になっている。落として落としてサウンドが進んでいくため、そのあとに待ち受けるEDM楽曲の顔、ドロップ部分でのアゲアゲ感をより強調させているのだ。
ちなみに本楽曲の歌詞は、『ジャンプ』と似た世界観になっているのでぜひ和訳も見てもらいたい。
ここまで考えてのオマージュだったらニクイね、石崎ひゅーい。
一方で『ジャンプ』の場合は、アゲアゲ感の強調ではなく「開放感」の強調のために使われている。最後の落とし所が違うだけで、このギターによって聴き手に与えたい感情は同じなのだ。
このように、4つ打ちの跳ねたダンスビートでありながら、あえて高揚感を抑え、寂しさや焦燥感のようなものを感じさせるビートを作り上げている。大事なのは、高揚感を「無くす」のではなく、「抑える」こと。このバランス感覚が重要なのだ。
真山りかは、本楽曲に対して下記のようにコメントしている。
「ジャンプ」という楽曲自体がアルバム「playlist」の芯を貫いていれば、今の私たちが歌う「反骨と愛と希望」の歌だとすごく感じました。
~中略~
まさに「ジャンプ」は、今の私立恵比寿中学のメンバーみんなの気持ちを示した歌だと感じました。しかも歌ってて血が滾るように、ライブで一緒にみんなで熱くなりたいです。
出典:【インタビュー】私立恵比寿中学、今のメンバーの姿を投影したアルバム「playlist」
<血が滾る>という表現に、このビートの真意が現れていると思う。
辞書で調べたところ、滾る(たぎる)の説明として「沸き立つ」と表現されていた。
本楽曲には「熱さ」がある。しかし熱は熱でも「大爆発」といった派手な熱ではない。心の底の底から、メラメラとフツフツとグツグツと力が溢れ出てくるような、そんな「熱さ」だ。
跳ねたビートは、確かな高揚感を聴き手に与える。しかし、そこに乗る上モノによってその高揚感は抑えられる。抑えられた高揚感は、無意識のうちに自らの中へ中へと溜まっていく。フツフツと。表向きには見えてこないかもしれないが、見える熱さとは種類が違う、強い強い力をもった熱さが体中をめぐり、血を滾らせるのだ。
また、真山りかは本楽曲を<反骨と愛と希望の歌>と表現した。
<反骨>とは、抑えられるからこそ生まれる感情だ。
彼女が上記のような表現をしたのは、きっと「歌詞」からだけではない。この高揚感をあえて抑えたビートからも、何かを感じたのだと思う。
葛藤・焦燥・自問自答
世界は楽しいってさ
真っ暗闇じゃないってさ
どんな未来が見えるか
わめき散らしてジャンプしよう
本楽曲は、皮肉が込められたような一節で始まる。
現在の主人公は、世界は楽しいと思っていないし、真っ暗闇の中にいる様子が伺えるだろう。しかし、絶望に打ちひしがえれているわけではない。そんな現実の中でも未来へ向かって「ジャンプ」しようとしている。
「ジャンプ」とは、より高みへ向かう意志、燃えたぎる向上心を表現した言葉だと思う。
しかもただ「ジャンプ」するのではない。「わめき散らしてジャンプ」しようとしている。この表現から、現状をすべて受け入れられている訳ではないこと、目指すべき目標が明確に定まっている訳ではないことなどが想像できる。
決してスマートなやり方でなくても、愚直に上を目指そうという意志が感じられる。
新しい時代の風が
僕たちを呼んでいるんだ
桜吹雪が燃えている、
あと何度告白できる?
本当なのか、強がりなのかは分からない。しかし、時代が自分たちを求めていることを表明している。祝福の桜吹雪なのか、はたまた美しいものも散ってしまう儚さを表しているのか、それとも<時代の風>に吹きすさぶ桜を自分たちに例えているのか。
冒頭の歌詞に引き続いて「自分たちの現状」を歌っている。
そして<あと何度告白できる?>と問うている。
「告白」とは、自分の心の底を吐き出す行為だ。ただの情報伝達とは違うし、恋愛だけに使われる言葉でもない。もっと強くて、ときに恐ろしいほど弱くて、極度に醜くて、限りなく美しい行為だ。
そんな人間を人間たらしめるような行為を、あと何度できるのだろうかと自問自答している。
また2番では、より人間的な情動を表現している。
夢は見るんじゃない掴め、
嵐の中を駆け巡れ
おとぎ話じゃ終われない、
これは心臓のドラマだ
<これは心臓のドラマだ>という表現。この表現からは、ドラマでもフィクションではない、血が通った生身の「自分自身」を生きていかなければならないという強い決意が感じられる。
音としては外れているような柏木ひなたの歌唱からも、機械では表現することができない人間としての力・熱さ、そこに込められた強い想いを感じることができる。
楽器ではない、人間の声だからこそ、歌という表現だからこそ伝わる感情だ。
画像出典:エビ中、新曲「ジャンプ」MV公開日時が明らかに!暗闇に柏木ひなたの顔が…
そんな自問自答、葛藤、焦燥、決意を持ちながら、主人公は、彼女たちは、私立恵比寿中学はどのように生きていくことを選んだのか。
それは全てサビに集約されている。
辿り着いた答え
だから愛を込めて
鳴らすよ 鳴らすよ
本当に大切な事なんか
突き止めたりはしないで
現状に悩み、もがき、葛藤し、自問自答の果てに辿り着いた生き方。
それはとても単純で、当たり前で、だけど一番忘れがちな生き方だった。
「愛」を持って生きることだ。
そして<鳴らす>こと。つまり、自分以外の誰かにも「愛」を届けるということだ。
もちろん彼女たちがアーティストだから<鳴らす>という表現が使われたのだろう。しかし、それが意味することは誰にでも当てはまる普遍的なことだ。愛を持って人と、いやこの世のあらゆるモノと触れ合おうということだ。
そして、<本当に大切な事なんか突き止めたりはしないで>というフレーズ。
私は、「すぐに答えを見つけようとするな」「最短距離で進もうとするな」という意味に解釈した。
本当に大切な事=目指すべき目標・答えなどと捉えるならば、もちろんそれを知っていたほうが物事はスムーズに進むだろう。その目標へ向かう最短距離を目指して、効率よく生きていくことができるだろう。それは決して悪いことではない。人生において絶対に必要な要素であることも間違いない。
しかし現在の彼女たちは、その方法は取らない。
いや取れないのかもしれない。
だって校長も含め、そんな器用なグループじゃないことを我々ファミリーは知っている(笑)。
だから私立恵比寿中学は、こう歌ってくれるんだ。
がむしゃらに愛を込めて
鳴らすよ 鳴らすよ
馬鹿にしてくれたっていいぜ
あなたが笑ってくれるなら
器用になんてできないから<がむしゃら>でいいんだ。
<本当に大切なこと>なんてまだまだ分からないし、どう頑張っていけばいいのかだって分からない。
けど「愛」さえ心に持って、遠回りでも無我夢中に、<がむしゃらに>進んでいけばいいんだ。
傷つきながらジャンプを繰り返して、やっと手にした何かはきっと、最短距離で手に入れたものよりも何倍も美しいはずだ。
我々ファミリーは、そんな彼女たちの動機になれるような、笑顔で支える<あなた>になれているかな。
画像出典:エビ中 アイドル初の主催野外ライブフェスを開催、豪華アーティストたちが結成10周年を祝福
10周年という区切りの年に発表、新たな挑戦となる楽曲テイスト、MVにおける安本彩花の不在、現状と未来を歌った歌詞。
間違いなく、私立恵比寿中学にとって節目となる楽曲になったと思う。
そして我々エビ中ファミリーもまた、迷った時、負けそうな時、挫けそうな時、人生の節目で何度もこの曲に救われるのだろう。
いつまでもウジウジしていないで。
動き出すべきタイミングは、中山莉子さんが教えてくれている。
今だぁぁぁぁあああああ
終わりに
私は本楽曲を初めて聴いた時、初めて『響』を聴いた時と同じような感情を覚えた。
確かに曲としても同じく4つ打ちダンスビートだし、ストリングスだって使われている。
また歌詞にも、<鳴らす(ジャンプ)><鳴り止まないんだ(響)>と共通したワードが用いられている。
でもそんな小手先のギミックの影響ではなく、それぞれの楽曲に込められた“想い”そのものに私は心を打たれたのだと思うのだ。
両楽曲には、同種の感情が閉じ込められている。
その感情が形を変えて、2つの音楽となってぶつかってきた。
だから同じ感情が私にも芽生えたのだ。
やっぱり音楽っていいな。
エビ中っていいな。
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