これまでにない始まり
アルバムの幕開けを飾るのは、シンガーソングライターのビッケブランカ提供による『ちがうの』だ。
私立恵比寿中学のアルバムと言えば、めちゃくちゃな茶番を繰り広げるインタールード(間奏曲)やアルバムの世界観に誘うインスト曲から始まるのが定番だった。
この法則を覆したのが前作『MUSIC』における岡崎体育提供の『Family Complex』だったが、こちらは歌詞の内容が“私立恵比寿中学の自己紹介”的な役割を果たすものであったため、エビ中のアルバムの1曲目として相応しい楽曲と言えた。
対して本楽曲は、ひとつの独立した世界観を持ついわゆる普通の曲だ。
そのため、この曲から始まるだけで「あぁ、きっとこのアルバムで新しい私立恵比寿中学を見せてくれるのだ」とこれまでのエビ中を知っている人ほどワクワクしてくるはずだ。また、本楽曲を1曲目に置いた意味はきっとタイトルにも理由がある。
きっとこれはエビ中からの「これまでの私達とは『ちがうの』よ!」というメッセージなのだ。
「空白」の多い歌詞
いろんな色に飾った部屋で
これからはずっと一人だね
あれこれと迷っていた
僕はどんな顔だったのだろう
明るく笑顔が基本の“アイドル”のアルバムだというのに、1曲目が失恋ソングというのもなんだか面白い。しかし、失恋ソングには失恋ソングなのだが、なんとも掴みどころのない楽曲なのだ。
「僕」と「君」の物語であり、「僕」は「君」が大好きなご様子なのだが、どうも何らかのキッカケで「君」は離れていってしまったようだ。これが本楽曲の詞世界の大枠なのだが、ここからより詳しく二人の関係に迫っていくための材料がかなり不足しているのだ。
まず二人の性別から分からない。主人公の一人称は「僕」だが、J-POPにおいて女性が主人公でも一人称に「僕」が使われることは珍しくないため、主人公を男性と断定することはできない。この主人公の性別によって、冒頭の<いろんな色に飾った部屋で これからはずっと一人だね>という歌詞のニュアンスも変わってくる。
まず「部屋でこれからはずっと一人」という歌詞からは、二人は同棲していたのではないかという想像ができる。そうなると、あくまでも一般論だが男性が部屋を「いろんな色に飾る」ことは少ないので、彼女が主導権を握っているカップルだったのでは?と想像ができる。
一方で、主人公を女性と捉えると、これは自分主導な彼女に彼氏が嫌気が差したのかな?なんて想像ができる。
はたまた、<いろんな色に飾った部屋>は「二人でいろんな思い出を作った部屋」の比喩かもれない。断定できることの少ない「空白」の多い歌詞のおかげで、冒頭のフレーズだけでも多様な妄想の余地があるのだ。
肝心の別れの原因についても、明確には歌われていない。
<誤解よ 空似よ><わかってるよどの街にだって こんな顔たくさんいること>という歌詞から、恐らく「君」が、「僕」に似てる人が別の女性(or 男性)と親しそうにしているのを見てしまい、「僕」が浮気していると勘違いしてしまったのだと推測できる。
しかし下記の歌詞が解釈を惑わせるのだ。
Bye Bye Boy Again
Fly Fly My Mistake
Bye Bye Coming Again
<Fly Fly My Mistake>とあるが、勘違いしたのが相手なのであれば、ミスをしたのは「君」の方だ。
ではこのパートは、「君」視点のパートなのか?それとも、勘違いをしてしまった「君」に対して「僕」が何かひどい言葉でも浴びせてしまったのだろうか。そして、この<Boy>は誰を指したものなのか。「君」か、「僕」か、それとも「僕」と似ている誰かか。
考えれば考えるほど分からなくなっていく。しかし、その思考のループがなぜだか心地よいのだ。「空白」の多い歌詞だからこそ、無限の解釈ができ、一人ひとりの頭の中にそれぞれの物語を描くことができる、1曲で2度、3度美味しい楽曲だ。
真山 歌詞の解釈はメンバー間でもバラバラで。「これはどういうことなの?」と意見を出し合いました。
出典:私立恵比寿中学「playlist」インタビュー|いろいろあった10周年、集大成のその先へ – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
とのことなので、「このメンバーならこんな解釈をするんじゃないか」なんて妄想をして楽しむのも乙なもんですね。
ビッケのルーツ大集合
作詞作曲を務めたのは、シンガーソングライターのビッケブランカ。
彼の知名度を一気に広げたのは、天使こと新垣結衣が主演を務めたドラマ『獣になれない私たち』の挿入歌となった『まっしろ』だろうか。
「美しいハイトーンボイスとピアノを主体としたアレンジ」という彼の代名詞が全面に押し出された楽曲だ。
マイケル・ジャクソンで音楽に目覚め、母親の影響でエルトン・ジョンやクイーンを聴いて育ち、歌唱面ではミーカに多大なインスパイアを受けたという彼。
「そりゃこんな曲を作りますわ」というメンツだ。美しいメロディにピアノ、そしてファルセットを駆使した歌唱と、見事に自分のルーツに正直な楽曲制作を行っていることが分かる。
しかし、あくまでもこれは彼のパブリックイメージだ。多感な10・20代では、彼もこんな音楽の洗礼を浴びていた。
中学生になってエレキギターを持つことを覚えて、中学から高校にかけてミクスチャー・ロックにハマり、リンキン・パーク、ロスト・プロフェッツ、リンプ・ビズキットなどが大好きでした。友達と誰がいい、といったことを熱く討論していました。
出典:ビッケブランカが選曲した100年後に残したい音楽~897Selectors#102~
彼もゴリゴリのロック小僧だったわけだ。な~んだ仲間じゃん。俺、リンプ派。
ミクスチャー・ロックといえば、ロックと他ジャンルの音楽を組み合わせた音楽ジャンルだ。
広義にはこの解釈で正しいかと思うが、一般的にはロックとヒップホップを組み合わせた音楽を指すことが多い。上記で彼が挙げているバンドたちも、DJスクラッチやラップを駆使した死ぬほどカッコいい音楽を奏でている。
「美しいメロディ」と「ラップ」。
まさに、彼のルーツを集合させた楽曲が『ちがうの』であると言えるのではないだろうか。
コールドプレイ『Viva la Vida』を彷彿とさせるイントロから流れ込むAメロでは、エビ中にしては低めのキーから始まり、真山りかの艶のある歌声が物語の始まりを告げる。
抑えたテンション、抑揚の少ないメロディで歌われるのは、ダイナミックなBメロへの布石だ。大きく抑揚のあるメロディは、ファルセットを用いることでより印象でセンチメンタルな響きになる。
またファルセット部分に<会いたいよ>のフレーズを乗せることで、より強い気持ちが表現されている。
サビでは、同じ(ような)メロディを繰り返す「反復」の手法を取り入れることで、一聴するだけで耳に残るフレーズになっている。
歌詞でも<ちがうの ねえ ちがうの ねえ 誰を見間違(みまちが)えたの ねえ>と「ちが」という言葉を繰り返すことで、キャッチーさを高めている。
そしてなんと、さらに<Bye Bye Boy Again>ともう一段回メロディが変化。音符の少ない大きなメロディには、英語を合わせることでこれまでのメロディと差別化。<Bye Bye><Fly Fly>と韻まで踏んで、聴いても歌っても気持ちいい仕上がりになっている。
たまげた。
韻だけではなく、楽曲のラストにはちゃんとラップも登場する。
この縦横無尽のメロディと韻・ラップは、まさにビッケブランカのルーツから作られたものだろう。ありがとうビッケブランカ。変な名前だけど。
「滑稽さ」の正体
本楽曲のレコーディング時、こんなディレクションがあったようだ。
柏木 歌うときは「切なさを出したいんだけど、その中にあるちょっとした微笑みを出して」ってすごく言われました。
直球のではないが一応失恋ソングではあるので、「切なさを出したい」というのはもちろん理解できる。しかし、なぜそこに「ちょっとした微笑み」が必要だったのか。
その理由は、物語を第三者的に俯瞰して見てみるとなんとなく分かる気がする。
この主人公は、ちょっとしたすれ違いから恋人と離れてしまう。なのでなんとか関係をもとに戻そうと四苦八苦している。多分、こんな感じだ。
「ちがうのちがうの!ねえってば!誤解だから!ねえ!ただの空似だから!ねえ、聞いてる?」「ねえ!どうして分からないの!あ、待ってよ!ねえってば!誤解なんだって!ねえ~泣」
ね、全然相手にされてないでしょ。傍から見てたらかなり「滑稽」でしょ。
でも、なんかこの主人公、愛らしいっしょ。
ポップな楽曲にあえて悲しい歌詞を乗せることで、より切なさを醸し出す手法はJ-POPの1つの定番の型となっているが、そこに主人公の愛しさまで乗っけた本楽曲は、一般的の歌手よりも“表現する”ことに長けた「アイドル」という存在が歌うにふさわしい楽曲と言えるのではないだろうか。
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